はじまりの日本劇映画 映画 meets 歌舞伎はじまりの日本劇映画 映画 meets 歌舞伎

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  • 五郎正宗孝子伝[デジタル復元版、声色掛け合い・和洋合奏入り]

    1915(大正4)年

    国立映画アーカイブが所蔵する澤村四郎五郎出演作2本(1本は『日蓮上人 龍乃口法難』1921年)のうち、本作は、四郎五郎が名を伏せて出演した天活作品。大阪日日新聞に連載され、当時浪曲で人気があった「五郎正宗」は、大阪の浪花座や弁天座で歌舞伎としても上演され、各社で映画化もされた。本作には天活旧派映画の吉野二郎・桂田阿彌笠・枝正義郎チームの特徴と、後に四郎五郎一座と言われる俳優たちとのコンビネーションが遺憾なく発揮されている。特に、五郎の雪中の水行シーンは、義太夫芝居となっており、歌舞伎名題役者の出演を謳った天活旧派映画の見せ場の一つ。また、後半の追っかけシーンやトリック撮影も、当時その技巧が高く評価されていた枝正義郎の撮影術と天活旧派の”活動写真”の魅力を存分に伝えるシーンである。

  • 豪傑児雷也

    1921(大正10)年

    日本映画最初のスターである「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助主演の忍術もの。歌舞伎や講談において、蝦蟇を操る妖術でお馴染みの児雷也の物語が、松之助のきびきびとした立ち廻りと、監督・牧野省三によるストップ・モーションや二重露光を駆使したトリック撮影を得て、映画ならではの変化に満ちた面白さが詰まった一作となった。日活京都の二枚目スター・片岡松燕が美青年・高砂勇美之助役で、名女形・片岡長正がなめくじに変化する綱手役で出演しているのも見どころ。

  • 旧劇 太功記十段目 尼ケ崎の塲

    1908(明治41)年

    浅草で人気を博した女役者・中村歌扇とその一座は、明治41(1908)年に梅屋庄吉率いるMパテー商会にその評判を買われ、映画に起用された。本作は現存する数少ない出演作の一つで、明智(劇中では武智)光秀のいわゆる「三日天下」の史実を浄瑠璃や歌舞伎として劇化した「絵本太功記」の最も知られた十段目(「太十」とも呼ばれる)を映画化したもの。謀反を起こした光秀(市川左喜次)が宿敵・真柴久吉(中村歌江)と誤って母・皐月を竹槍で刺し、皐月と妻・操(中村歌扇)に諫められる場面と、瀕死の息子・十次郎との別れの場面、そして久吉と戦場での再会を約束する場面が残されている。

  • 先代萩 御殿の場 義太夫出語

    1915(大正4)年

    日本映画初期を代表する事業家・梅屋庄吉は、自身の設立したMパテー商会が明治45(1912)年に日活へと合併したのち、大正4(1915)年に再び映画プロダクション・Mカシー商会を設立し、東京府の大久保百人町の撮影所で映画を製作した。本作はいわゆる「伊達騒動」を題材とした歌舞伎の人気演目「伽羅先代萩」の「御殿の場」の映画化で、お家乗っ取りをたくらむ逆臣側が若君・鶴喜代(鶴千代ともいう)に差し出した毒入りまんじゅうを、乳人・政岡(中村歌扇)の実子・千松が身代わりに食べ、口封じに殺されてしまう有名な場面が残されている。タイトルから、公開当時は義太夫出語りで上映されたと思われる。