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旧劇映画の大スター 澤村四郎五郎再考

イントロダクション

 日本映画が新派劇(現代劇)と旧劇(時代劇)の二種類に分かれていた無声映画の時代に、歌舞伎の名題役者から“天活”(天然色活動写真株式会社)の映画俳優へと転身し、日活の尾上松之助に対抗しうる“大正時代の映画スター”となった澤村四郎五郎。
 本サイトでは、この日本映画の歴史上重要な功績を果たしながらも忘却の彼方におかれつつあった映画人・澤村四郎五郎とその映画を再考する資料として、国立映画アーカイブ所蔵のフィルムとノン・フィルムのコレクションを駆使して開催した「ユネスコ「世界視聴覚遺産の日」記念特別イベント 旧劇映画の大スター 澤村四郎五郎再考 講演×『五郎正宗孝子伝』[デジタル復元版]特別上映」(於:国立映画アーカイブ長瀬記念ホール OZU、2023年10月14日開催)の講演記録をはじめ、関連資料を公開する。


澤村四郎五郎

(さわむらしろごろう/1877[明治10]年10月15日生、1932[昭和7]年8月27日没)
東京・馬喰町生まれ。本名沢野乙吉。三代中村福助門下から1901年に澤村訥子の門弟となり、宗之助の後見として國之助の名で帝国劇場他に多数出演。1914年に五代目澤村四郎五郎を襲名。帝劇出演の合間に天活の旧派映画に匿名の名題役者として多数主演後、1916年に名を明かして天活専属の映画俳優に転身。所作も美しいスラリとした二枚目で、彼の映画は松之助映画と同様に歌舞伎や講談、立川(たつかわ)文庫などに材を得ながら、映像美とトリック撮影や美術の技巧、義太夫なども活かした情感表現で高い評価と人気を誇り、四郎五郎を”四五様”と呼び、”四五党”と称するファンの投書が映画雑誌を毎号賑わすほどだった。1921年に松竹へ移るが、関東大震災前後におこった日本映画の近代化に伴い、旧劇映画は時代遅れとなり、1924年に四郎五郎は映画界を去り、四郎五郎一座で各地を巡演した。

誕生月は9月、10月と諸説あったが、ご遺族から提供いただいた戸籍謄本上では10月。


なお、上記のイベントの概要は、以下のURLを参照のこと。
https://www.nfaj.go.jp/exhibition/unesco2023/